名古屋ウィメンズマラソンいよいよ明日ですね。走られる皆さん頑張ってくださいね。
この開催をきっかけに全ての大会が開催されますように。


退勤打刻を済ませ帰ろうとするタイミングで、同じ事務所内にいるグループ会社の若手と話しをする機会があった。
大手の客先に4年掛かって商品導入出来たと嬉しそうに話しかけて来たのだ。それもあってか、しばらく残業が続きそうだと話しが続いた。

そう言えばおじさんも再雇用となって、時間管理されるようになった。
今まで通りに出勤打刻すると『勤務時間の乖離が20分以上あります』ってアラートが出るようになった。その度毎に勤務時間帯の変更申請したりとか、理由付けして残業申請したりとかなかなか面倒くさい。
もちろん、今月から給料は半減するので残業が付くのは嬉しいんだけど、今までのサラリーマン人生サービス残業が当たり前だったし、そもそもPCで打刻すること自体に違和感ありありなんだけど。

おじさんが入社した昭和58年の基本給は12.5万円と営業手当が基本給の20%、いわゆるみなし残業手当だ。
勤務時間は8時から17時って条件だった。
本社での、研修を終えて大阪の当時営業所に赴任して、初めて先輩と一緒に営業に出る日の前日に翌日の打ち合わせをすると、先輩から明日は得意先に6時集合だと告げられた。
始発電車に乗ってギリギリだ💦💦💦
会社に戻るのも18時ごろで、事務処理してたら20時21時は当たり前って感じ。
平均したら6時間ぐらい毎日残業してたけど周りも皆同じだったし、女子事務員さんも月末月初は遅くまで残業してたから、それが当たり前って思ってた。
もちろんタイムカードも無かったし、正確な残業時間も分からないけど。

土曜日の休みも第二土曜日の一回だけだったので、月間100時間ぐらいは軽く残業してたんじゃないかと思う。
あの時、今みたいにちゃんと時間管理されてたら毎月基本給と同じかそれ以上の残業代になってたはず。
そう考えると損した気分😓

数年して、休日出勤が多い部署を担当したことがあって1ヶ月間休み無しで働いたことがある。
休日出勤は代休か手当のどちらかを選ぶことが出来たので全て手当にすると五万円ぐらいになって、全て飲み代に消えた。
この時代にカラオケで喉を鍛えた( ̄▽ ̄;)

有給休暇なんて、冠婚葬祭か病気で休んだ時ぐらいで、遊びの為に計画的に取得した記憶ってほとんど無い。
いやひとつだけ鮮明に覚えていることがある。
30歳の頃、高校時代の友人と平日ゴルフに行った思い出だ。
当時ゴルフって土日だと三万円が相場だった頃だ。平日だとその半額ぐらいで行けたので有給を取得して出掛けた。
ただその日の奈良は大雪でゴルフ場まさかのクローズ( ̄▽ ̄;)
結局開いてるゴルフ場求めて三重県まで走ったよ。伊勢湾が綺麗だった(笑)

有給申請って、理由書いて上司の顔色伺いながら提出するイメージだったし、提出する際に必ず数字は大丈夫なんだな?って言われるのもお約束だった気がする。
そんな有給申請も今ではPCで理由も書かずにクリックだけでOK。
上司も何も聞かず承認。
なんなら部下に対して有給消化を進めたりw
いい時代になりました(^^)
有給も年間40日あって毎年20日間ずつ付与される。
定年を意識し始めた3年ぐらい前から、毎年20日間は有給を取得するようにしてる。残した分は翌年に繰越せないからね。
今年度も19日取得してるので、もう1日何処かで取る予定(^^)
過去取得出来ずに消えた有給がお金に換算されてたら、、、あ〜もったいない、ザ・サラリーマン( ̄▽ ̄;)

働き方改革、我が社では確実に進んでいると思います。
良い会社になったなぁ〜と今になってそう思う。



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